プロジェクトリーダーよりあなたへ
blue earth green treesホームページの 『健康的な日々のために』 のリード文の中で、「国内外のお一人おひとりの健康と幸せを祈りながら、繋がるみなさんと多様な活動を創り続けます。今のあなたに役立つものを見つけていただけると嬉しいです。」として♯1~♯30をあげてくれています。私も実践しています。
一人ひとりの生活で見つけたものを1枚の写真にタイトルやコメント(日本語でも英語でも他言語でもOK)をつけて交流しませんか。
新しい自分の発見や笑顔がさらに増えるかもしれません。
blue earth green treesにお送りください。ホームページに掲載させていただきます。
またLove Peace Freedom and Diversity Concertなどで写真を使わせていただくことがありますのでご了解ください。
撮影・HP掲載には許可が必要な場合(人物や寺社仏閣等)は各自で対応をお願いいたします。
◆写真とタイトル・コメントの送付先:
①お名前
②メールアドレス
③電話番号(緊急連絡用)
④写真
⑤写真のタイトルやコメント(タイトルのみ、コメントなしでお送りいただいても結構です。)
⑥撮影地(例:奈良市若草山、アメリカLAなど)
blue.earth.green.trees.3@gmail.comまでお送りください。
◆プロジェクトリーダー:杉岡博幸(種を蒔くコーナー#29メッセージ投稿者)
#30:西村 馨(2021年5月30日)
(高野山町石道)
弘法大師が高野山開創の際に切り開き、1町(約109m)毎に木製の卒塔婆を建てて道標とし、その後も表参道として利用されてきた。
麓の慈尊院から壇上伽藍までの180町と壇上伽藍から弘法大師御廟までの36町。
鎌倉時代に朽ちた木製の卒塔婆の代わりに、石造りの五輪塔形の町石が建てられた。
町石には仏様を表す梵字や壇上伽藍までの町数などが彫られている。
#29:西村 馨(2021年5月22日)
(和歌山県岩出市 緑花センターにて)
錦鯉が泳ぐ蓮池、熱帯の植物の温室、梅林、遊具のある広場などもあり、老人の集いから幼稚園の遠足まで幅広く親しまれています。
眼下に紀の川や和歌山市を眺められるのも魅力です。
#28:南 和宏(2021年4月11日)
(京都嵐山 渡月橋にて)
『渡月橋』
心の中にほんの少しでも冒険心があったなら、それを冒険と呼んでいい。
自転車は今と少年を繋ぐ魔法の乗り物。
#27:木村 直子(2021年4月6日)
(大阪市旭区にて)
花嵐のあとに
ベンチは五線譜
#26:木村 直子(2021年3月16日)
(大阪市旭区にて)
『み~つけた』
ソメイヨシノ開花
#25:木村 直子(2021年3月8日)
(広島県尾道市にて)
船隠し公園から瀬戸内海を臨む
#24:木村 直子(2021年2月25日)
(大阪市旭区の 幼稚園にて)
『園庭の河津桜』
春寒のこの頃に満開になって、道行く人をハッとさせてくれる。
ふくよかな桜色。
#23:西方 千晶 & 西方 穂積(2021年2月20日)
サンキウォーク傘寿と喜寿で157才
まだまだこれからの人生のウォークです。
#22:西方 千晶 & 西方 穂積(2021年2月20日)
(天満宮にて)
けさも梅みながらのウォークです。
#21:南 和宏(2021年2月18日)
(兵庫県川西市 知明湖にて)
『取捨選択』
普段は両手が塞がっているのに、また新しい荷物を持とうとしがち。
自転車でのキャンプツーリングではそうもいかず、本当に必要なものだけを持っていく。
日々の暮らしも、もっとシンプルでいいのかも知れない。
#20:Hisako Kato(2021年2月6日)
(ウズベキスタンにて)
タシケント「ナヴォイ劇場」
ウズベキスタンの首都タシケントは、それまで訪れた街々とは違って、ソ連時代でも都会でした。1966年に直下型地震に見舞われ、近代的な都市に生まれ変わっています。
そのタシケントのナヴォイ劇場はバレエとオペラの大劇場で、1947年に完成しました。第二次大戦後、ソ連に抑留された日本人が強制労働で建設に協力し、作業半ばで命を落とした人たちもいたそうですが、劇場は地震の際にも無傷で、日本人の技術の高さが語り継がれ、ウズベク人は日本に大変好感を持っているとのことです。公 園の中に噴水の池と一緒に佇む、すてきな建物です。
Tashkent, the capital of Uzbekistan, is located in the eastern side of the country, and has been a big city including the time of USSR. After the severe earthquake attacked the city in 1966, it was turned into a very modern one.
Navoiy theatre is a big theatre for the performances of ballet and opera completed in 1947. Many of Japanese soldiers who had been prisoned and sent to Siberia after WW2 were brought here to help the construction and some of them died here. The theatre survived completely safe even after the earthquake, which made the people of the country know the high technical power of the Japanese and they have good feeling to Japan, I hear. The building stands in a quiet park together with a pond of waterfall.
#19:Hisako Kato(2021年2月6日)
(ウズベキスタンにて)
ヒヴァ「カルタ・ミナル」
ヒヴァはウズベキスタンの西寄にあり、AD1世紀頃には街の基礎ができていたようです。東西南北の文明・文化をつなぐオアシス都として機能し、昔から様々な王朝に よって支配されましたが、16世紀初~20世紀初にはヒヴァ・ハン国の首都として栄えました。中央アジアや西アジアの封建都市では、どこも城壁が造られていたもの の「イチャン・カラ」と呼ばれる城壁の内側は破壊されてしまったのですが、ヒヴァの「イチャン・カラ」は、城壁も歴史的建造物も、ほぼ無傷の状態で保存されている ため、世界遺産に登録されています。神学校がホテルや土産店になるなど、用途が変えられているものもありますが、歳月を潜って生き延びてきた建物たちに郷愁を覚え る街です。
イチャンカラに残る「カルタ・ミナル」は「短い塔」という意味で、19世紀半ばに当時の王(ハーン)が中央アジアで最も高いミナレットを建てようと着工したですが、26mの高さで工事を終えてしまったというものです。基礎部の直径は14.2mもあり、青の釉(うわぐすり)を使ったタイルがとてもきれいです。工事中止の理由には諸説あり、その中の1つに「ブハラという街を見張ろうとしたけれど(遠すぎて無理とは思いますが!)王の居城のハーレムまで丸見えになると気づいたから」というものがあります(^0^)
Khiva is located rather in the western part of Uzbekistan. It started in the 1st century AD at the latest, and was worked as an important town of an oasis connecting the roads and culture from north, east, south and west. Though it had been ruled over by many different kingdoms, it flourished as the capital of Xiva Xonligi from the 16th century to the beginning of the 20th century. "Itchan Kala" of Khiva, the main part of the town surrounded by the walls, has been kept safe though Ichan Kalas of many other old feudal towns in the middle and western Asia were destroyed and no longer left. So the town is designated as one of the historical site of UNESCO. Even though some of the madrasas (theological schools of Islam) have been turned into a hotel or souvenir shops, it is a town full of nostalgia.
The tower in the photo is called "Kalta Minor" meaning a "short tower" constructed in the middle of the 19th century by the Hahn (king) at the time who wanted to build the tallest tower in the middle Asia. But the construction work was stopped and the tower has been left uncompleted with 26 meters high. The light blue tiles on it are really beautiful. There are some stories about why the work was stopped and one of them goes like this: the Hahn built it to watch the town of Buxoro located in the far distance, but he noticed that the inside of his harem would have been watched as well if the tower had been completed!
#18:Hisako Kato(2021年2月6日)
(ウズベキスタンにて)
サマルカンド「シャーヒズィンダ廟群」
中央アジア、ウズベキスタンの古都・サマルカンドは、オアシス都市としてBC10世紀ごろから発展し、シルクロード上で栄華を極めた街でした。7世紀からはイスラム化され、モンゴル襲撃後の14世紀にはティムール帝国の都となり、ティムールは世界のどこにもない美しい都市を建設しようと、遠征先各地から優れた技術者や芸術家たちを連れ帰りました。建物を飾る「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる鮮やかな青色タイルは、中国の陶磁器とペルシアの顔料が出合って誕生したもの。まさに「文化交差路」の街と言えます。
シャーヒズィンダ廟群は街の東北部の丘にあり、ティムールの親族、王朝関係者の廟(墓)やモスクなどが集まっています。両側に建ち並ぶ廟の間に立つと、まさに青い町の中。どれも似たような入口の廟ですが、外壁も内部も1つ1つデザインや装飾が異なり、美しさに魅了されます。
Samarkand in Uzbekistan in the middle of Asia developed as a town of an oasis from 10th century BC, and flourished along with the use of "Silk road". Islam was introduced in 7th century and it became the capital of the empire of Timur in 14th century. He wanted to make it the most beautiful city in the world. The blue of the tiles is called "Samarkand blue" and produced by the technique of making china of China together with the pigment of Persia.
Shah-i-Zinda is a necropolis in the north-eastern part of the city. It was formed over eight (from 11th till 19th) centuries and now includes more than twenty buildings. When you stand among these mausoleums, you will feel as if you are in a blue town. Though the buildings look like almost the same, each has different beautiful designs both outside and inside, which will attract you a lot.
#17:木村直子(2021年2月3日)
(大阪市内 自宅にて)
『― 春立つ日に ―』
紅大根の三杯酢漬けとスイトピー
#16:木村直子(2021年2月3日)
(大阪市内 自宅にて)
『― 春を待ちながら ―』
オーガニック農業・土ごと発酵による農薬不要の元気野菜を作っている友人から届く彩り大根は、京紫・紅化粧・もみじスティック・ビタミン大根・・・多種多様。
生でいただいて、温野菜で楽しんで、食べきれないものは、乾燥野菜に。真冬の陽を浴びて、寒風にさらされて、切り干し大根の花が咲く。
そのまま口に含むと、甘く滋味深い味。春を待つ寒の恵み。
#15:野田佳代(2021年1月26日)
小さな手から、大きな手に。
小さな幸せを見つけられることに、大きな幸せを感じますね。
子どもたちの未来に。
#14:南和宏(2021年1月18日)
(神戸市)
『祈』
今も昔も祈ることしか出来ないけれど、祈るくらいなら誰にだって出来る、私にだって。
2021.1.17 神戸にて
#13:Hisako Kato(2021年1月15日)
(インド)
『チャンド・バオリの階段井戸』
階段井戸とは、井戸の底の水ぎわまで階段で降りていける大きな井戸のことで、雨量の少ない西インドに多く見られる。「チャンド・バオリの階段井戸」はジャイプールとアグラの中間にある逆四角錐状に彫り込まれた井戸で、13階層、階段総数は3,500段。地表約35m四方のほぼ正方形に囲まれた井戸の深さは、およそ30mだ。幾何学的に並ぶ階段が織りなす模様は、芸術的な美しさ! イスラム勢力が入る以前の8~9世紀に造られたそうだが、水が貴重なこの地域では、これほど深く井戸を掘る必要があったのだろう。底の近くは地上より5~6度涼しいようだ。 非常に暑い時には地域住民の集会場としても使われた。正面に王族の休憩所として使われた寺院か王宮とみられる部分が残っている。インド旅行中、とても感動した場所の1つだ。
“The stepwell of Chand Baori” Stepwells are wells or ponds in which the water is reached by descending a set of steps to the water level. They are common in western India where they do not have much rain. The stepwell of Chand Baori is located between Jaipur and Agra in India. It is a deep four-sided well that consists of 3,500 narrow steps over 13 stories. It extends approximately 30 m into the ground and one side of the square on the surface is about 35 m. The geometric pattern produced by the steps are really beautiful! The stepwell was built in 8th-9th century, when the Muslim power had not conquered the area. They had to build such a deep well to get water in this dry land. At the bottom of the well, the air remains 5-6 degrees cooler than at the surface, and Chand Baori was used as a community gathering place for locals during periods of intense heat. One side of the well has a kind of a temple or a palace that served as resting rooms for the royals. It was one of the most impressive places in my tour to India.
#12:Hisako Kato(2021年1月15日)
(インド)
『 タージ・マハル』
インドのアグラにあるタージ・マハルは、ムガール帝国第5代皇帝が、亡くなった妃のために22年かけて建設した白い大理石の廟。建物の姿も美しいが、近くで見ると、白大理石に象嵌で黒大理石や金や色石がはめ込まれたり、浮彫りの彫刻が施されたりと、装飾もみごとで美しく、皇帝の妃への愛を思わずにはいられない。悲しいことに本人は病を得た後、皇帝を継いだ息子に幽閉される身となって生涯を閉じた。自分のために黒大理石で廟を造る計画だったが、それは実現できないまま、今はタージ・マハルで愛する妃の隣に眠っている。
The Taj Mahal is an ivory-white marble mausoleum in the Indian city of Agra. It was built by the order of the 5th Mughal emperor, taking 22 years, to house the tomb of his favourite wife. The building itself is very nice to see from the distance but, if you come closer, you will see it is full of really beautiful pieces of decoration of carvings and inlay works of gold, black marble and other colour stones as well, which makes you understand how much he loved her. What was a pity is the emperor became ill and one of his son who took over his position confined the father in Agra Fort until his death. Although he had planned to build a black marble mausoleum for himself, which was in vain, his body was interred in the Taj Mahal, next to the body of his beloved wife.
#11:南和宏(2020年10月15日)
(愛媛県今治市)
『 瀬戸の夕暮れ』
沈みゆく太陽をぼんやりと、ただぼんやりと眺める。
そんな時間も必要です。
#10:木村直子(2020年9月22日)
『再会の日の夕陽』
#9:木村直子(2020年8月31日)
(大阪市旭公園)
『秋の入り口-銀杏-』
ラジオ体操にむかう道、いつもの時間、いつもの曲がり角
おはようを言う前に
「もうひと辛抱やな」 「はいっ」
・・・いつものおじさま。名前は知らない。
ま~るい銀杏が嬉しい いっときの風
#8:木村直子(2020年8月31日)
(大阪市旭区)
『雨上がり -午前7時の蒼空-』
#7:しもかわりえ(2020年8月18日)
(モルディブにて)
『自然からエネルギーをもらうこと』
自然からエネルギーをもらうこと、大人になるとなかなか実感できず暮らしていたのですが、この海を見たとき、圧倒的美しさの前に身体が震えました。裸足で感じる砂や、暑い中吹き抜ける風の心地良さ、鳴いているサギの声、磯のかおり、目を閉じて思い出すことで今もエネルギーをもらうことがあります。
#6:東口千津子(2020年7月1日)
(ハワイにて)
『Lokahi ロカヒ 調和、合意 ちょうわ、ごうい
Harmony, Accord』
この金色に輝く美しい瞬間、すべてと調和するエネルギーをいただく。
この自然の中にいられること、生きていること、
あなたと出逢えたこと、あなたを愛すること、
そして平和をみんなで築いていくこと。
This beautiful moment with everything shining at the sunset
energizes us in harmony with everything.
To be in this nature, to be able to live,
to have met you, to love you
and to build peace altogether.
#5:東口千津子(2020年7月1日)
(メルボルンにて)
『安心感 あんしんかん Peace of Mind』
安心できる空間で安心できる人と過ごすことで、
心と体が回復し、あなたが内側に持っている力が発揮されていく。
疲れた時には安心できる場所、
安心できる人を想像してみよう。
Your mind and body can recover
while spending time with someone you can trust in a safe place.
It is then you can perform at your full potential again.
In times of trouble,
imagine being in your safe place
with this special person.
#4:南和宏(2020年6月12日)
(滋賀県琵琶湖湖畔にて)
『スローサイクリング』
重たいキャンプ道具を積んで琵琶湖一周キャンプツーリング。
空身だと1日で一周できるものを、敢えて時間を掛けて走る。
スピードは出ないけれど、だからこそ見えるものもある。
#3:杉岡博幸(2020年6月8日)
(橿原市今井町で撮影)
『ありがとう』
樹齢400年以上のエノキ
この木の幹に毎日ありがとうと言って
触ってから出勤します。
ある日
向こうからやってきた人が
この木を見上げ、やはり幹に静かに触れてから
通り過ぎて行かれました
『Arigatou』
This big tree is standing here for more than four hundred years.
I touch it, while saying ”Arigatou” everyday.
One day there was the person who looked up it, and touched it gently.
#2:杉岡博幸(2020年6月8日)
(橿原市畝傍御陵前 職場で撮影)
『遠くを見つめて』
小さいころ遠い山の向こうに
どんな景色が広がっているのだろうと考え
遠くを見ていました
今はこの景色だけを楽しんでいます
『Please imagine the world over the mountains.』
When I was childhood, I was excited about what happened to be over the mountain.
Now I am only enjoying the scenery in front of me.
#1:杉岡博幸(2020年6月8日)
(自宅で撮影)
『愛着』
このカメラが
45年前に買った最初のカメラ
今も現役、シャッター音が素敵
祖母の好きなシャクナゲの花をとりました
祖母と過ごした子供時代
温かい日々を思い出す一台です
『I love this camera』
The first camera
I bought it forty-five years ago.
It is still normal.
I like the sound of the shutter of it.
First, l took pictures of my grandmother's favorite rhododendron flowers.
I spent time with my grandmother when I was a child.
This camera will remind me of her kind heart.