4月23日開催:『第9回SDGs勉強会~子どもの権利条約について考える』のご報告

 

 

活動報告:2022423日開催:「第9SDGs勉強会~子どもの権利条約について考える」

 

ご参加くださった皆さま、ありがとうございます。

皆さまのご協力に感謝致します。

 

◆参加人数:13

 

◆ドネーション:22,000円(第12回種を蒔く人のお話を聴く会のドネーションと合わせて)

Common Café様へ22,000円をお送り致します。

 

◆参加者の皆さまのお声(アンケートから「気づき」「学び」などを抜粋)

・子どもの権利条約というものがありながら、日本の社会はそれに追いつかない現状があることに気づくことができました。この勉強会では、毎回、大切にしなければならないことは何かに気づくことができます。

・子どもの権利について、これまであまり考えたことがありませんでしたが、改めて考える機会となりました。また多くの矛盾についても認識を深めることができました。

Good thing to learn more the children’s right.  Mostly children are violated their rights at home.  Many children are suffering around the world.  Mostly they are helpless and afraid often unless somebody or someone helps them till the end.

・子どもの権利の大切さ、その通りと思います。

・「子どもの声を聴く」ということを大切に、また子どものその時その時の状態を丁寧に見つめ続け、子どもが安心して気持ちを表現し、望む方へ歩んでいけるように応援していきたいと思いました。

・紛争下の子どもたちのことを思うと心がいたみます。どの国の子どもも安全な場所で笑顔で過ごせるようにと祈ります。

・外国人の子どもたちが心身のストレスを高めることのないように、コミュニティをつくる一人ひとりが気づきを高め、学びを深めて、より安心できる環境・子どもたちの成長を応援できる環境をつくっていく必要があると感じます。

  

種を蒔くSeed folks#319 202254

 

岩崎裕保からあなたへ

 

第9回SDGs勉強会「子どもの権利条約(CRCConvention on the Rights of the Child )

 

プログラムの冒頭で、ゴダイゴが歌う「ビューティフル・ネーム」( ビューティフル・ネーム ゴダイゴ - YouTube )を聞いていただきました。この歌は、1979年「国際子ども年」の協賛歌で、日本語と英語のヴァージョンがあり、部分的には中国語と韓国語もあるようです。

次に、参加者に二つの問いかけをしました。

・あなたが、もう子どもじゃない、大人になったんだと感じたのは、いつ、どんな(ことがあった)時でしたか?

・子ども時代に、親あるいは教員などから、権利の侵害を受けたことはありますか?それはどんなことでしたか?

そして、最近の新聞記事を紹介しました。

326日朝日=外国人小中学生146人が通学せず。憲法や教育基本法により、国民には子どもに教育を受けさせる義務があるが、外国人にはない。

315日朝日=理不尽校則 もうやめる。時代は変わった。生徒らと議論し決定。

CRC2条は、いかなる差別もいけないとし、28条では教育への権利を、そして29条では教育の目的を謳っていて、①のような状況をよしとはしません。また12条は意見表明権を、13条は表現・情報の自由、14条は思想・良心・宗教の自由、15条は結社・集会の自由を保障するとしていますから、CRCが認知されて現場にこうした変化が起こるまで30年かかったということを②は示しています。しかし、①でも②でもCRCへの言及は、残念ながら、ありません――政府だけでなく、マスコミも、国際条約に向き合う姿勢が弱いようです。

 

CRC19891120日に採択され、1990年に発効しました。日本が批准をしたのは1994422日で、158番目でした。ソマリアが201511月に196番目の批准国となったので、まだ批准をしていないのは米国のみとなっています。

ポーランドが1978年にCRCの草案を提出し、翌79年には国連に作業部会が設置され、その後10年かかって採択に至りました。CRCは全部で54条から成っていますが、前文に続く第1部(141条)が権利についてで、第2部(4245条)は広報や報告の義務など政府や国連の仕事で、第3部(4654条)は諸手続きとなっています。

 

ワークは、スーザン・ファウンテンによるユニセフの「CRCを学ぶために実践ガイド」である『私の権利みんなの権利(原題Its Only Right !)』の「活動5 さまざまな権利のつながり」をおこないました――世界の子どもたちの情況を書いたカードがCRCのどの項目に当たるのかを考えました。

たとえば、「私が小さかった頃、私の家族は保健所からとても離れたところに住んでいたので、私は予防接種をうけられませんでした。今私は8才で、ポリオにかかっています」はCRC24条、子どもが可能なかぎり高い水準の健康を享受し、「保健・医療サービスを受ける権利」について述べています。また、この話は28条の「教育を受ける権利」とも関連します。

 

子どもの権利に関わる歴史を振り返ってみると、フランス革命による「人権宣言」(1789年)があり、1924年には国際連盟による初の「ジュネーブ宣言(子どもの権利宣言)」、そして1948年の「世界人権宣言」を忘れることはできません。1959年には「子どもの権利宣言」がありましたが、「宣言」というものには法的拘束力がないので、「国際人権規約」(1966年)が基本的人権保障への法的拘束力強化を訴えます。1978年にポーランド政府が「子どもの権利条約草案」を国連に提出して、人権委員会内に作業部会が設置されました。1979年は、「子どもの権利宣言」20周年に当たり、「国際子ども年」でした。そこから10年間の作業・議論を経て1989年に「子どもの権利条約」が採択されました。

 

CRCは次の4つとして説明できます。

生存の権利:命をたいせつにされること、人間らしくいきていくための生活水準が守られることなど。

育つ権利:自分の名前や国籍を持ち、親や家族と一緒に生活できること、教育を受け、休んだり遊んだりできることなど。

守られる権利:あらゆる種類の虐待や放任、搾取、有害労働などから守られること、戦争から守られ、被害にあった子どもの心や身体が保護されることなど。

参加する権利:自由に意見を表したり、グループ活動ができること、成長に必要な情報が提供され、子どもにとって良くない情報から守られることなど。

 

子どもは身体的・精神的に未熟であり、経済力が備わっていませんので、自立できるまでに十分な配慮や保護が必要ですから、CRCには子どもならではの権利も含まれています。それをCRCにおける4つの原則と言います。

生命、生存、発達に対する権利は命を守られ成長できること、子どもの最善の利益とは子どもにとって最も良いことを第一に考えること、子どもの意見の尊重は意見を表明し参加できること、そして差別の禁止とは子ども自身や親の人種、性別、意見、障害、経済状況など、どんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されるということです。

 

CRCで大事なことは、保護の対象としてだけではなく、一人の人間として認め、自己決定権を含めた権利の主体としての子どもという認識です。これをポーランドが提起したことの背景を象徴するのが「コルチャック先生」です。

アンジェイ・ワイダ監督作『コルチャック先生』オリジナル予告編 - YouTube

が1990年に映画化されています。コルチャック先生(本名 ヘンルイック・ゴールドシュミット)は「子どもは既に人間である(子どもは、だんだんと人間になるのではなく、すでに人間なのだ。人間であって、操り人形ではない。彼らの理性に向かって話しかければ、私たちのそれにこたえることもできるし、心に向かって話しかければ、私たちを感じ取ってくれる。子どもは、その魂において、あらゆる思考や感覚を持つ、才能ある人間なのだ)」「子どもが、ではない。そこにいるのは…人間である(そこにいるのは、知識の量、経験の蓄積、欲望、感情の動きが異なる人間である)」「子どもと言うものは、私たち(大人)と等しく人間的な価値をもっているものだ」と言っています。

 

実は、日本は1951年に「児童憲章」を制定しています。その前文には「われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める」とあり、「児童は、人として尊ばれる。児童は、社会の一員として重んぜられる。児童は、良い環境のなかで育てられる」としています。これはきわめて先駆的なことです(が、CRCと異なる点があって、それはこの憲章では、児童を社会から保護されるべき存在と位置付けていることです)。この憲章を持っている日本がCRCの批准をしたのが1番ではなく158番目であったのはなぜなのでしょう。

 

CRCに関して、日本の課題に触れておきます。

まずchildを日本政府は「児童」と訳していますが、一般的には小学生を児童と言いますから、CRCが「18歳未満の子ども」としていることと違った印象や認識を与える可能性があります。また、条文にはshallという語がよく出てきますが、これは語源からすると「…することを負うている」という意味なので、ユニセフ訳では「…しなければならない」としていますが、政府訳では「…する」となっています。もちろん、条約は政府を縛るものですから、政府が「する」と言っているのですから、そう目くじらを立てることではないのかもしれませんが、人びとが読んだときに、政府は責務を負うているのだと受け取れる方がよい訳だと言えそうです。

政府は、CRCを批准するにあたって、国内法や制度の改正は不要だとしました。その一つの結果が、冒頭で示した校則問題とつながるのではないでしょうか。当時、きちんと向き合って国内の在り方をCRCと照らし合わせてみることをしなかったということです。しかし、1979年に発効した女子差別撤廃条約では、国籍法の改正や男女雇用機会均等法の成立、家庭科教育の見直しといったことを5年以上かけて整備したうえで、1985年に批准をしたのでした。

「こども庁」構想には「子どもは家庭でお母さんが育てるもの。『家庭』の文字が入るのは当然だ」という自民党保守系議員の意見があり、「こども家庭庁」となりましたが、これもCRCが十分に認知されていないことのあらわれではないでしょうか。

CRCは5年ごとの報告義務があり、2017年の日本の報告に対して「差別の禁止」「児童の意見の尊重」「体罰」「家庭環境を奪われた児童」「生殖に関する健康及び精神的健康」「少年法」に関しての取り組みが十分でないとの指摘を受けています。

自治体における条例制定は必ずしも全国的に広がっているわけではありませんが、奈良市は積極的な取り組みをしている自治体の一つとなっているようです。

国内初!ユニセフ「子どもにやさしいまちづくり」実践自治体に選出 - 奈良市ホームページ (nara.lg.jp)

 

最後に、「米国がCRCの批准をしていないのはなぜか」とのご質問に対して、連邦政府と州政府の調整がなかなか難しいという形式的なことしかお伝え出来ませんでしたので、追加をさせていただきます。

米国は外交分野で孤立主義的な態度をとってきたとは歴史的にも明らかで、国連の人権活動には冷淡な姿勢を持っていて、男女差別撤廃条約の批准もしていません――環境や軍縮でも同じような傾向です。CRCは子どもの自律にポイントがありますが、それを親の権威や家族の統合に反するものであると考える人が多くいます。宗教や表現の自由は米国の働きかけでCRCに盛り込まれましたが、社会権を権利として認めることに抵抗が強く、教育や健康は個人の責任であるとの考えが広く支持されています。また、CRCにはっきりと違反する法制度(たとえば18歳未満の少年の死刑)が少なからぬ州に存在します。子どもの権利が前面に打ち出されること自体に米国は抵抗していると言えます。

 

プロフィール:blue earth green trees SDGs勉強会プロジェクトリーダー。同志社大学法学部政治学科卒業、同大学院アメリカ研究科修了。ニュージーランドが関心の地域。私立中高で英語を教え、その後大学に移って「平和研究」「国際協力論」「NGO/NPO論」などを担当。2008年から6年間開発教育協会(DEAR)代表理事。今はDEAR監事と関西NGO協議会(KNC)監事。

種を蒔く:#310,303,292, 266, 259, 254, 237, 224, 197, 175, 143, 124, 121, 98, 79, 73, 69, 67, 48